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京都地方裁判所 昭和52年(ヲ)39号 決定 1977年5月09日

申立人 本願寺

相手方 五大株式会社 外一名

主文

一  京都地方裁判所執行官垣貫徹雄が相手方五大株式会社を債権者とする京都地方裁判所昭和五一年(手ワ)第三八四号約束手形金請求事件の仮執行宣言に基づく執行力ある手形判決正本、および相手方大崎六郎を債権者とする同裁判所昭和五一年(手ワ)第三七三号約束手形金請求事件の仮執行宣言に基づく執行力ある手形判決正本に基づき、昭和五二年一月一三日、申立人に対する強制執行として、申立人所有の別紙物件目録記載の物件につきした強制執行はこれを許さない。

二  申立費用は相手方らの負担とする。

事実

申立人は主文一項同旨の決定を求め、その理由として主張するところは、次のとおりである。

相手方らは主文掲記のとおり、別紙物件目録記載の物件に対し、強制執行の申立をなし、差押え手続をなした。しかしこれら物件は民事訴訟法第五七〇条第一項第一〇号に掲げられている礼拝の用に供する物として差押えることのできないものである。

1  即ち、紙本著色本願寺聖人伝絵(康永本)は康永三年(西暦一三四三年)に、紙本著色本願寺聖人親鸞伝絵(弘願本)は貞和二年(同一三四五年)にそれぞれ製作されたもので、その製作意趣は親鸞聖人の遺徳を顕彰し、併せてその教法を明かにすることによつて本願寺教団の基礎を確立せんとするところにある。康永本は東本願寺三代師主覚如上人直筆になる伝鈔およびこれと一体をなす伝絵からなり、弘願本は四代師主善如上人直筆になる伝鈔およびこれと一体をなす伝絵からなつていて、それぞれ本願寺門徒において「御伝鈔」「御伝絵」と呼称される。

御伝鈔は蓮如上人の時代に毎年一一月二一日から二八日まで七昼夜に亘つて親鸞聖人を偲ぶ法会すなわち七ケ日報恩講が営まれた際、その二五日に拝読され、殊に蓮如上人自身により拝読され、そのうえ説話を施されたものであつたところ、以来今日まで右御伝鈔の拝読は厳重に伝承され、御伝鈔は経典にも類比すべき聖教として崇敬されていたのみならず、今日の真宗門徒の宗教感情を培う聖典として崇敬されてきたものである。

2  軸・聖徳太子一六才孝養之図については宗祖親鸞聖人が太子を和国教主(日本の釈迦)として崇敬されたことにより、真宗教団にあつては聖徳太子像と相承七祖の像を礼拝の対象として崇敬の誠を捧げて来たものであり、殊に本願寺にあつては、右の軸を毎年二月二一日、二二日の両日(太子の忌日)、特に本堂に掲げて法要を営み礼拝することが伝統となつたものである。

3  ところで前記法条第一項第一〇号の立法趣旨とするところは、該物件が本質上取引の対象とならないことの他に、宗教的な感情を考慮したことにある以上、教団の信仰の中心となるものについては、これに該当すると考えられなければならないところ、本件物件はいずれも取引の対象となるものでないことはもとより、康永本、弘願本は本願寺の正統性を具顕するものとして、東本願寺と一体をなす信仰の中心とされて来たものであつて、礼拝の用に供するものであること明らかであり、聖徳太子一六才孝養之図はこれまた礼拝の用に供する神体、仏像といわなければならない。

相手方五大株式会社は、「申立人の請求を棄却する。」との裁判を求め、反論として主張するところは次のとおりである。

本件差押に係る各物件は、古美術としての高い価値を有しており、取引の対象たるに十分な性質を有している。

1  即ち、康永本、弘願本については、御伝鈔が報恩講において拝読されるとしても、これは詞書に関する部分についてのみ言えることであり、右詞書は本件差押にかかる康永本、弘願本とは別個独立のものであるから、右をもつて直ちに康永本、弘願本が礼拝の用に供されるものとはいえない。なお実際に使用される御伝鈔は模本や印刷本にしか過ぎない。そのうえ親鸞聖人の教法を示す詞書は教行信證を中心として唯信鈔等多数存在し、御伝鈔なるものは単なる一詞書にしか過ぎないものであり、聖典といつた類のものではない。

2  御伝絵は親鸞聖人の生い立ちを絵図化したものにしか過ぎず、その教えを図示したものではない。現在これが重要視せられるのは、古美術としての価値にある。親鸞聖人の伝絵は他にも多数存在し、特に本伝絵が殊更に教法上重要なものとはいえない。他宗にも宗祖の生立を示す絵図があり、その中には宗家から手離された物もある。これらの事実よりしても、康永本、弘願本が信仰の対象物として必須のものでないことが推認できる。

3  軸・聖徳太子一六才孝義之図は、聖徳太子の肖像画にしか過ぎず、特に何らの特徴もなく古美術といわれるものにしか過ぎない。

理由

一  本件記録中の各証拠によると、次の事実が認められる。

1  京都地方裁判所執行官垣貫徹雄は、主文掲記の各債務名義に基づき、昭和五二年一月一三日申立人の宝物庫において、別紙物件目録記載の物件外一五点を差押えた。

2  差押物件中、紙本著色本願寺聖人伝絵は康永三年(西暦一三四三年)に製作されたもので、康永本と称され、紙本著色本願寺聖人観鸞伝絵は貞和二年(西暦一三四五年)に製作されたもので、弘願本と称されている。これらの伝絵はいずれも観鸞聖人の生涯を画いた絵巻物であり、絵の部分と、それを説明する詞書の部分が交互に連続している。康永本の詞書は東本願寺三代師主覚如上人の直筆であり、弘願本の詞書は、四代師主善如上人が書写したものと伝えられている。両伝絵とも国の重要文化財に指定され、文化的歴史的価値はもとより芸術的にも高い評価を受けている。

3  康永本の製作意趣は、本願寺号を創設した覚如上人が、吉水門下の正統である親鸞聖人の遺徳を顕彰し、併せてその教法を明かにすることによつて、本願寺教団の基盤を確立しようとすることにあつた。この故に康永本は本願寺教団の基礎となつたものとして、一般に真宗門信徒の信仰の対象となつており、弘願本もこれに準ずるものとして観念されている。

4  康永本、弘願本は絵巻物であり、多数の者に拝観、拝読させるのに不便であつた。そこで伝絵、詞書を教化のために用いる必要上、詞書の部分を別に書写し、絵の部分も別に掛軸に模写し、法会においてこの掛軸を大衆の前に仕立てたうえ、詞書の写本を拝読することが、覚如上人の長子教覚上人の頃より行なわれるようになつた。右の独立した絵は御伝絵、詞書は御伝鈔と呼ばれ、現在末寺、門信徒、一般社会において右御伝鈔の写本、印刷本は多数流布されている。

5  八代師主蓮如上人時代に至ると、七ケ日報恩講といつて、親鸞聖人を偲ぶ法会が毎年一一月二一日から二八日まで七昼夜に亘つて営まれ、その二五日に蓮如上人自らが御伝鈔を拝読する儀がなされたが、以後これは宗門での重要な行事の一として伝承され、その際用いられる御伝鈔はますます門信徒に経典にも類比すべきものとして崇敬され現在に至つている。なお現在では右報恩講において写本たる御伝鈔が拝読されている。

6  次に、親鸞聖人は聖徳太子を和国教主(日本の釈迦)として厚く崇敬したので、真宗教団ではその遺志を敬い、その教旨の弘通を感謝するために聖徳太子を奉安している。本件差押えの軸・聖徳太子一六才孝養之図は太子の肖像画であるが、東本願寺にあつては毎年太子の忌日である二月二一日、二二日の両日にこれを本堂に掲げて、礼拝することが伝統となつて今日に至つている。

二  以上の認定事実によると本件差押に係る物件中、軸・聖徳太子一六才孝養之図が民事訴訟法第五七〇条第一項第一〇号にいう礼拝の用に供する物であることは明らかである。康永本、弘願本は現実に礼拝の用に供されている物ではないけれども、真宗門信徒の信仰の対象であつて、本質上取引の対象とならないものであるのみならず、東本願寺において毎年親鸞聖人の報恩講において、その模写絵である御伝絵が掲げられ、その前で写本である御伝鈔が拝読されることにより、門信徒にとつて間接的、精神的に康永本、弘願本そのものを礼拝しているものと観念せられているものと推認され、ひいて宗教的儀礼の用に供されているものということができるので、結局礼拝の用に供するものに該ると解するのが相当である。

三  そうだとすると本件物件の差押は、差押うべからざる物件を差押えた違法あるものであり、これを取消すべきである。よつて本件手続費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 野田栄一 門口正人 野崎薫子)

(別紙)物件目録

一、紙本著色本願寺聖人伝絵 四巻

(康永本)絵第一三一八号重要文化財指定

一、紙本著色本願寺聖人親鸞伝絵 四巻

(弘願本)絵第一三一九号重要文化財指定

一、軸 聖徳太子一六才孝養之図 一本

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